研究業績

江島顕一助教図書出版記念研究会 『日本道徳教育の歴史』を開催

江島先生著書217292麗澤大学の江島顕一助教(道徳科学教育センター員)が、近現代日本の道徳教育を概観した通史『日本道徳教育の歴史――近代から現代まで』(ミネルヴァ書房、平成28年4月)を刊行した。

通史としては、1984年(昭和59年)刊行の勝部真長・渋川久子『道徳教育の歴史――修身科から「道徳」へ』(玉川大学出版部)以来であり、いわば最新版の通史が誕生したといえる。395頁から成る堂々の大著である。今後、道徳教育に関係する研究者・教育者の基礎文献となることは確実であろうし、特別の教科「道徳」のありようを考えるうえでの格好の参考資料ともなろう。そこで道徳科学教育センターでは、同書の刊行を記念し、その内容を検討する研究会を6月1日(水曜日)に開催した。

開催にあたり、武蔵野大学の貝塚茂樹教授をゲストコメンテーターにお招きした。周知のように貝塚教授は、日本道徳教育学会理事、文部科学省「道徳教育の充実に関する懇談会」委員、中央教育審議会専門委員として、道徳教育の推進をリードしている。

さて研究会は、江島助教ご自身による自著紹介から始まり、貝塚教授のコメントに江島助教が応答するという流れで進行した。モデレーターは、本学の川久保剛准教授(道徳科学教育センター副センター長)が務めた。

IMG_7676まず江島助教から、自著の特色が、「制度・思想・教材」という切り口を設け、そこから、近現代日本の道徳教育の歩みを客観的・価値中立的に概観した点にあるという説明がなされた。江島助教の言葉を借りれば、「資料に語らせる」という手法によって貫かれた通史というわけである。

しかし貝塚教授は、まさにこの点にこそ本書の問題点が存在すると指摘した。つまり、史実に語らせるという意図はわかるが、どの史実を選択するかという点にすでに筆者の価値判断が示されるわけであり、そうである以上やはり、筆者の歴史観を明示的に語るべきではないか、というわけである。なるほど、「事実などない。存在するのは解釈だけだ。」という言葉がドイツの哲学者・文献学者のニーチェにあったと記憶するが、客観的事実と主観的価値判断を簡単に切り離すことが出来ない点に歴史記述というものの本質があるといえよう。ことばをかえると、歴史をいかに語るかという根源的な問いを根底に持った記述のみが、歴史記述の名に値するのではないか、というわけである。貝塚教授は、歴史研究者としての方法的構えについて、若き筆者に問い質したと言えよう。もちろん貝塚教授は、新進気鋭の研究者である江島助教が、通史の不在という研究状況に風穴を開けた点を高く評価し、賞賛を惜しまない。しかし、そうであるがゆえに、また更なる活躍に期待を寄せるがゆえに、厳しくその覚悟を問うたわけである。
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これに対し、江島助教からは、本書では「資料に語らせる」というスタンスを採りながらも、先行研究の成果と限界を踏まえ、そこから新たな事実認識を示したつもりであり、その点に筆者なりの歴史記述の捉え方が示されていると言えるのではないかとの応答がなされた。もっとも近現代日本の道徳教育の歩みを総体として評価する独自の歴史観を構築することは確かに重要であり、そこに歴史研究者としての己の今後の課題があるという自覚もあわせて語られた。いずれにせよ、このような貝塚教授と江島助教のやり取りは、歴史研究の根幹にかかわる問題にかかわっており、フロアの参加者にも大きな知的刺激を与えた様子が見て取れた。歴史記述における事実(科学)と価値(規範)の統合のありようをめぐるやり取りに議論が及んだ点に今回のセッションの収穫があったと言えよう。真摯かつ率直な議論を展開して下さった貝塚教授と江島助教に心より感謝申し上げたい。

IMG_7695研究会の後半では、貝塚教授より「戦後教育と道徳の教科化」と題したご講演を賜った。貝塚教授によると、戦後日本の道徳教育論議を形容するキーワードは「思考停止」である。敗戦後遺症で、戦前の日本が否定の対象となる中、教育勅語や修身科はそのシンボルと見なされ、知識層の間で大きな批判の的となった。また道徳教育についても、教育勅語・修身科とイコールの関係と見なされ、それを論じること自体がタブー視されることとなった。こうした風潮によって、道徳教育をめぐる論議は低調なものとなり、学校における道徳教育も形骸化を余儀なくされた。しかし道徳教育が人間形成に大きな役割を担っていることは言うまでもないことであり、それゆえ、戦後においても一般国民は、道徳教育の充実を求めてきた。今回、道徳の特別教科化が決定し、ようやく戦後の道徳教育をめぐる負のスパイラルに終止符を打ち、道徳教育の充実に向けた取り組みを本格化させていくことが出来るようになったと言える。人間は、「縦」の関係と「横」の関係の交点に存在している。また「見える他者」だけではなく、「見えない他者(死者や超越者)」との関わりを有している。道徳教育は、そうした重層的な人間のありようを考え、そこでの人間のより良き生き方を自己の問題として捉えながら生きていくことのできる人間の育成をテーマとするものであるといえよう。貝塚教授は大要このように議論を展開し、最後に平成の徳育論議の活性化を期待したいという情熱的な言葉でご講演を締めくくった。まさに「戦後教育と道徳の教科化」というテーマに相応しいご講演であり、道徳教育のありようを歴史的・理論的に考えるうえでの重要ポイントを開示してくださったと言えよう。全体を通じて実に有益な研究会であった。
(道徳科学教育センター・川久保剛)

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